僕は、姫路の工業団地で「替えのきく部品」として扱われ、鬱(うつ)になりました。
でも、フィールハートで出会った仲間の中には、僕とは真逆の理由でボロボロになっている人たちがいました。
それは、加古川や姫路の総合病院で働く看護師さんや、高砂・たつのの介護現場で奮闘する福祉職の方々です。
彼らは「誰かの役に立ちたい」という純粋な思いでこの道を選んだはず。
なのに、現場ではモンスター患者(利用者)や理不尽な医師、そして人手不足という過酷な現実の板挟みになり、自分の心を削り続けている。
「私が頑張らなきゃ、現場が回らない」
「患者さんの前では、笑顔の『白衣の天使』でいなきゃいけない」
もしあなたが今、夜勤明けの虚無感の中でそう自分を追い詰めているなら。
あなたが今感じているその苦しみは、「聖職者の罠」という名の共依存構造が原因かもしれません。
1. 播磨の医療現場を蝕む「自己犠牲=美徳」という歪み
播磨エリアの医療・福祉現場は、どこも限界ギリギリで回っています。
そこで美化されているのが「自己犠牲」です。
自分の感情を殺し、私生活を削り、相手に尽くすことこそが正義とされる。
でも、ちょっと待ってください。 ボロボロの看護師が、どうやって人を癒やすというのでしょうか?
フィールハートの視点から見ると、この「自己犠牲」の裏側には、ある深刻なバグが潜んでいます。
それは、「誰かの役に立っていない自分には、価値がない」という強烈な自己否定感です。

どれだけ共感力が高くても、「心の境界線」がゼロであれば、相手の苦しみ(泥)がそのままあなたの心に流れ込み、あなたは窒息してしまいます。
2. それは「優しさ」ではなく「境界線の崩壊」です
「あの患者さんのために、もっと何かしてあげられたんじゃないか……」
休みの日まで仕事のことが頭から離れず、自責の念に駆られてしまう。
これは、加古川や明石の病院で働く真面目な看護師さんに共通する症状です。
でも、厳しい言い方をすれば、それは「優しさ」ではなく、相手の人生の責任まで勝手に背負ってしまう「境界線の崩壊」です。
相手の機嫌や体調を、自分のことのように感じてしまう。
これを心理学では「共依存」と呼びます。
あなたが相手に依存し、相手もあなたの献身に依存する。
この構造の中にいる限り、あなたは一生、他人の感情という激流に飲み込まれ続けることになります。
3. フィールハート流:「冷たい」と言われる勇気
フィールハートの豊福先生は、僕たちにこう教えてくれました。
「整っていない自分のままでいいし、相手を救えなくてもいい。」
対人支援のプロにとって、これは最初、受け入れがたい言葉かもしれません。
でも、この「救わなきゃいけない」という呪縛を解くことこそが、唯一の自衛策なのです。
フィールハートで学ぶ「メタ・コミュニケーション」を医療現場に持ち込むと、景色は一変します。
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理不尽にキレる患者さんを「救うべき人」ではなく「感情を爆発させている一つの事象」として観察する。
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「ごめんなさい」という言葉を、自分を責めるためではなく、場を収めるための「記号」として使い分ける。
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自分の心の「聖域」に、他人のゴミ(怒りや不平)を一切入れない。
これは冷たさではありません。
あなたがプロとして長く、健やかに働き続けるための健全な距離感(ディスタンス)なのです。
4. 白衣を脱いだ「ただのあなた」を愛せますか?
看護師のあなた。介護士のあなた。
仕事中の「役割」としてのあなたは、確かに立派かもしれません。
でも、白衣を脱ぎ、役割を脱ぎ捨てた「ただのあなた」には、価値がないと思っていませんか?
フィールハートが提供するのは、現場で役立つスキルだけではありません。
「誰の役にも立っていない時の自分」を、心から許せるようになるための心の土壌改良です。
「自分が整っていないと、本当の意味で人を助けることはできない」
姫路の片隅にあるこのサロンで、僕はその真理を知りました。
もしあなたが今、「もう1ミリも動けない」と感じるほど燃え尽きているなら。
どうか、誰かを助ける前に、まずは自分自身を救いに来てください。




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